2024-01-01から1ヶ月間の記事一覧
マスコと夫が頭から叱りつけるのをやめ、諭すようにしたことも大きかったかもしれない。
ただ身軽で運動神経がいいので、足場を移動するのはとても得意だった。
母は畳紙の紐をほどいて紙を開いた。
映画を観たり、買い物をしたり、食事をしたりした。
そして時折、学校の教科書の問題をやらせ、すべての解答が合っていると確認してとても満足そうだった。
ギターも新しいものを買い、再び練習をはじめた。
彼女は入社年次は一年先輩だが、短大卒なので年齢は一浪したタカユキより二歳下だった。
受注や在庫管理にコンピュータを導入し、コールセンター用のヘッドセットが使えるようなシステムに変えてくれた。
大荷物で在来線に乗っていくのは辛いと考えていたら、会社が車を出して現地まで送ってくれるという。
お父さんは中学受験のときに第一志望に絶対に受かるといわれていたのに、当日、お腹が痛くなって集中できずに落ちたとか、近所の高校二年のお姉さんは、受験当日に高熱が出て、試験を受けられなかったとか、そんな話をいつまでもいい続ける。
そのたびに母は微妙に不機嫌になっていた。
Lがゴミを分別する姿を目にしたJも雨に濡れながら缶や食品のパックを「Wohin soll ich das hinein tin?」と尋ねつつ次々に運動会のような玉入れの感覚でボックスに投げ入れる。
突然の来訪により準備に追われた義母はさぞかし疲れたことと想像するけれど、2度目のロックダウンがないことを祈りつつ、クリスマス時期の再会を約束して私たちはベルリンを後にした。
僕は慌てて首を振った。
彼はそこで少し間を置き、それから口をまた開いた。
どうすればいいか、ずいぶん迷った。
しかしいずれにせよ、ぼくが十八歳だったのは遥か昔のことだ。
空は澄んだ紺色に変わってきている。
それは斎藤秀太郎でした。
桜の森の満開の下です。
いつの間にか、女を見掛けるのが楽しみになっていたのです。
空腹と眠気で目眩がした。
そんな彼らも、ここ久しくたがいの顔を見ていない。
きっとあの人はそうやって、リアリティを出そうとしたんじゃないでしょうか。
俺が今まで考えてもいなかった事柄が、次々と紙の上へ現れる。
食器を片付けてもらうよりは、庭仕事をしてもらったほうが効率が良いため、丁重にお断りしたけれど、なんと気立ての良い青年たちだろう。
保守的な土壌のオーストリアにおいて、言外の蔑視が決してないとは言い切れないし、移民や難民を忌み嫌う排外主義は世界中でのろしを上げている。
さて、帰宅後は先ほど焼いたクッキーと共にお茶の時間。
どうやら陰生植物のコーナーで、大小様々、斑の入ったものや青緑の美しいものなどそれはそれは選び甲斐があった。
このデリダの政治化が、「ポスト構造主義」というレッテルの拒否につながっている。