2024-01-01から1年間の記事一覧

キャサリン-A-サンダーソン 悪事の心理学 p.119

つまり、一般的な鎮痛剤には、心理社会的な副作用があって、他人のつらい体験に共感的につながる能力を阻害する働きがあるようです。

キャサリン-A-サンダーソン 悪事の心理学 p.101

そして、乗客が何をすべきかを正確に伝えて、アイデンティティを共有する感覚を作り出しました。 寸評 単純であるのがいいね。

キャサリン-A-サンダーソン 悪事の心理学 p.84

彼らは、それぞれの喧嘩の動画を見直して、目撃者の行動をチェックしました。

キャサリン-A-サンダーソン 悪事の心理学 p.48

悪事の継続を許す最大の要因は、腐ったリンゴとも称される個々の悪人よりも、善良な人々が立ち上がって正しい行いをしないことにあります。 寸評 弱い善人よりも強い悪人になった方がいい。

キャサリン-A-サンダーソン 悪事の心理学 p.45

実験参加者の中には、電気ショックをしてやめる決断をした人がいたのです。

キャサリン-A-サンダーソン 悪事の心理学 p.40

あるとき、あなたがちょっとした過ちをしてしまったとします。 寸評 君子危うきに近寄らずだね。

キャサリン-A-サンダーソン 悪事の心理学 p.6

それは「発生事象の曖昧性」「個人的な責任の感覚の欠如」「社会的規範の誤解」「結果に対する恐れ」です。

柚月裕子 合理的にあり得ない p.54

高円寺はたしかに、稀代の詐欺師だ。 寸評 一度ならずも使ってみたい表現だ。

ダニエル・キイス アルジャーノンに花束を p.290

速度を増す、私の体の原子がぶつかりあいながら。 寸評 きっと爆弾のような激しい熱さが。

ダニエル・キイス アルジャーノンに花束を p.231

バートの車を借りた。 寸評 いつの間に運転が出来るようになったのか、それが不思議。

ダニエル・キイス アルジャーノンに花束を p.145

この数週間、死についてはよく考えるが、神についてはまったく考えたことがない。 寸評 死神というものもいるはずだが。

ダニエル・キイス アルジャーノンに花束を p.77

しかし話し相手は必要だ。 寸評 それは大いに学ぶことがあるから。

ダニエル・キイス アルジャーノンに花束を p.54

ぼくはアパートから逃げだす。 寸評 必死さが伝わる。

ダニエル・キイス アルジャーノンに花束を p.51

学習のあとでアルジャーノンとあそんだ。 寸評 ネズミとしか遊べていないのを思うと、可哀想である。

ダニエル・キイス アルジャーノンに花束を p.38

心理りょー法というのはどうゆうことかというとぼくが寝いすにねるとストラウスはかせがそばのいすにすわってぼくは頭にうかんでくることをなんでもしゃべるのだ。 寸評 いわゆるフロイトがはじめた精神分析の説明とみていいだろう。

ニーチェ 権力への意志 下 p.515

世界は、たとえもはやいかなる神でもないにせよ、やはり神的な想像力を、無限に転変することのできる力をもっているべきである。

ニーチェ 権力への意志 下 p.485

崇高な人間は、たとえまったくかよわく脆くあっても、最高の価値を持っている。

ニーチェ 権力への意志 下 p.408

人間の卑小化が長期にわたって唯一の目標として通用しなければならない。

ニーチェ 権力への意志 下 p.361

芸術家のニヒリズム。

ニーチェ 権力への意志 下 p.348

音楽以外の芸術において古典と解されているのは、ベートーヴェンのそれとは逆の類型であると。

ニーチェ 権力への意志 下 p.330

現代の芸術家は、その生理学においてヒステリー症ときわめて似通っているのだが、性格としてもまたこの疾患にもとづいて印づけられている。 寸評 何と病名の軽々しい名づけ方か。

ニーチェ 権力への意志 下 p.284

とくに、それが、全体の矜持を代表するよう個々人を強制するかぎりにおいて。

ニーチェ 権力への意志 下 p.255

しかし彼はこの危険をも意欲する。 寸評 英雄とはそういうものなのかな?

ニーチェ 権力への意志 下 p.175

とりわけて何か生あるものはおのれの力を放出しようと欲する。 寸評 放出を実際にするというわけではないようだ。

ニーチェ 権力への意志 下 p.158

私たちが数学的公式を生起したものにあてはめうれば、何ものかが認識されているというのは、幻想である。 寸評 計算機が意識を持たないということに近いのかもしれない。

ニーチェ 権力への意志 下 p.126

正常な現象としてのニヒリズムは、増大しつつある強さの徴候でもありうれば、増大しつつある弱さの徴候でもありうる。 寸評 どっちだ。

ニーチェ 権力への意志 下 p.119

このことは、それが、形而上学者たちを先頭として、すべての非道徳的手段を駆使しているということで証明さるべきであろう。 寸評 道徳の源泉は、やはり、非道徳なのか。

ニーチェ 権力への意志 下 p.100

「真の世界」が、たとえどのようにつねにこれまで構想されてきたとしてもーーそれはつねにまたしても仮象の世界であった。 寸評 真の世界はただ一つでなければならない。

ニーチェ 権力への意志 下 p.082

「原因」は全然あらわれでることはない。 寸評 一つの妄想というところだろう。

ニーチェ 権力への意志 下 p.054

存在するものを想定することは、思考し推論しうるために必要である。 寸評 存在が先だということか?思考よりも?デカルトの我思う故に我あり、は何処?